龍田古道沿い
の構成文化財
(平城宮~難波宮)
構成文化財
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平隆寺跡
大和に入り、三郷町の北東の勢野地区は平群氏が治める平群谷の南端にあたります。平群氏が古道と大和川を見下ろす高台に氏寺「平隆寺」を建てたのは、交通の要衝として大和川の水運と共に、龍田古道を意識していたことが分かります。
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関地蔵
天武天皇の御世に置かれた「龍田の関」を示す地蔵尊です。明治に入り大和川対岸に現在の国道25号線が敷かれるまでは、大阪と奈良の大動脈の通行を管理する場所で、通行料等を徴収していました。
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青谷遺跡(竹原井頓宮跡)
大和川北岸に設けられた奈良時代の離宮跡です。聖武天皇らが平城宮と難波宮との往来に際して宿泊に利用しました。瓦葺建物、石敷き施設などを確認。対岸に河内国分寺跡があり、景観も意識した立地となっています。
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芝山
湾曲して流れる大和川に浮かぶようにみえる芝山。その風光明媚な景色は、万葉集に「島山」と詠まれました。
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夏目の渡し跡
大和川の川幅が最も狭い場所で、両岸を結ぶ渡しがありました。ここで対岸へ渡り人々が往来しました。現在は、スリル満点のつり橋がかかっています。
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河内国分寺跡
竹原井頓宮の対岸に、聖武天皇の勅命で建立されました。対岸に竹原井頓宮跡があり、宮や古道から眺める七重塔は壮観だったに違いません。塔跡は復元整備され、見学ができます。
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松岳山古墳
全長130mの前方後円墳です。墳丘は石積みで往来の人々を驚かせるとともに、白く輝く古墳は龍田古道の目印となったことでしょう。日本最古の「船氏王後墓誌」(国宝)はこの付近から出土したとされています。
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智識寺跡
仏教に深く帰依した信徒(知識)によって建立された寺院です。聖武天皇が難波宮への行幸の途中、智識寺の盧舎那仏を拝まれたことが、東大寺大仏造立のきっかけとなりました。奈良時代に龍田古道の大阪側が仏教世界を体現していたことを示しています。