MAN'YO POEM

万葉和歌

地すべりの恐怖と隣り合わせにありながらも、
文物の往来によって発展を遂げた「龍田古道」。
この地に関係する万葉歌は30首ほど詠まれており、
龍田大社の境内やJR三郷駅などに
万葉歌碑が建てられています。

MAN'YO POEM
巻3-415 作者:聖徳皇子 家にあれば妹が手まかむ草枕旅に臥せるこの旅人あはれ
解釈:
家にいたら妻の手を枕としているであろうに、草を枕の旅路に倒れているこの旅人よ。ああ、あわれにも。
背景:
年代は不明だが、斑鳩宮から龍田古道を通り、竹原井頓宮への道中に詠まれたとされる歌。『日本書紀』にも似た歌があり、皇子の歌か危ぶまれるという説もある聖徳太子伝説の一首。聖徳太子の歌は万葉集にはこの一首のみである。

巻3-415 作者:聖徳皇子 家にあれば妹が手まかむ草枕旅に臥せるこの旅人あはれ

  • 巻5-877 作者:山上億良 人もねのうらぶれ居るに龍田山御馬近づかば忘らしなむか

    解釈:
    人がみな侘しくお慕いしているのに、龍田山に御馬が近づいたら、あなたはわれわれをお忘れになってしまいましょうか。
    背景:
    天平2(730)年12月6日に太宰府の大伴旅人の邸での「餞酒」の席で詠まれた歌。旅人が奈良の都へ帰る道中を想像しての歌だが、龍田山を基点として旅人の楽しい気持ちと、残された人達のさみしさがしみじみと伝わってくる。
  • 巻7-1181 作者:未詳 朝霞 やまず棚引く龍田山船出せむ日はわれ恋ひむかも

    解釈:
    朝霞がいつもたなびいている龍田山を、船を出す日には私は恋しく思うにちがいないよ。
    背景:
    年代は不明。作者は今、平城京から難波津へ、そこから海路の旅をしようとして龍田山を越えているのである。当時の人には、海路の旅は不安の伴ったものであり、いよいよ海に出る日には、この龍田山を恋しく思うのだろうと、感傷をこめて詠んでいる。
巻6-1022 作者:石上乙麻呂 父君にわれは愛子ぞ母刀自にわれは愛子ぞ参上る八十氏人の手向する恐の坂に幣奉りわれはぞ追る遠き土佐道を
解釈:
父君にとって私はいとしい子であるよ。母君においても私はかわいい子であるよ。都に上って来る多くの人々が手向けをする恐の山の峠に幣をたてまつって、私は目ざしていくことだ。遠い土佐の国を。
背景:
天平11(739)年3月に罪に問われ、流人となって土佐の国に配流される途中、龍田古道を通る際、地すべりをおこす恐の坂にて傷心の思いをこめて詠まれた歌。

巻6-1022 作者:石上乙麻呂 父君にわれは愛子ぞ母刀自にわれは愛子ぞ参上る八十氏人の手向する恐の坂に幣奉りわれはぞ追る遠き土佐道を

  • 巻8-1419 作者:鏡王女 神奈備の伊賀瀬の社の喚子鳥いたをな鳴きそわが恋まさる

    解釈:
    神奈備の伊波瀬の社の呼子鳥よ、あまりひどく鳴かないでおくれ、そんなに鳴いては、私があの方を恋しく思う心が増すばかりだから。
    背景:
    年代は不明。龍田大社南方の磐瀬の社は、大社の祭祀地で、大和川の水神を祀る場所である。そのような神聖な場所で鳴くカッコウの声に、より思いがそそられる感を読んでいる。
  • 巻10-2194 作者:未詳 雁がねの来鳴きしなへに韓衣龍田の山はもみち初めたり

    解釈:
    雁がやって来て鳴くにつれて、韓衣を裁つ龍田の山は黄葉しはじめたことだ。
    背景:
    年代は不明。渡り鳥の飛来と共に龍田山が黄葉するさまと、渡来文化によって華やいでいく時代を詠んでいる。

巻9-1747 作者:高橋虫麻呂 白雲の龍田の山の滝の上の小鞍の嶺に咲きををる桜の花は山高み風し止まねば春雨の継ぎてし降れば秀つ枝は散り過ぎにけり下枝に残れる花は須臾は散りな乱れそ草枕旅行を君が還り来るまで

巻9-1748(反歌) わが行きは七日は過ぎじ龍田彦ゆめこの花を風にな散らし
解釈:
白雲のたつ龍田の山の急流のほとりの小鞍の嶺に、枝をたわめて咲く桜の花は、山が高いので風がしきりに吹くから、春雨がたえず降るから、上の方の枝はすでに散り果ててしまったことだ。下の方の枝に残っている花は、暫くの間は乱れ散ってくれるな。草を枕に旅行く君が帰って来るまでは。
反歌
私の旅は七日は越える事はないでしょう。龍田彦の神様よ、決してこの花を風に散らさないで下さい。
背景:
年代は確定できないが、聖武天皇の天平6(734)年3月10日の行幸に先立っての下検分で、龍田古道の道中と思われる。難波に下る諸の卿大夫一行と龍田山を越える時、山に咲き残っている花を、天皇や諸の卿大夫に見せたいと願う同行した虫麻呂の細やかな心遣いが感じられる。反歌は長歌の終わりを受けて、龍田山に坐す風神「龍田彦」に祈りをささげる。この反歌によって、長歌も生かされている。

巻9-1748(反歌) わが行きは七日は過ぎじ龍田彦ゆめこの花を風にな散らし

  • 巻10-2211 作者:未詳 妹が紐解くと結びて立田山今こそ黄葉はじめてありけれ

    解釈:
    ふたたび無事に会った時には解こうと誓い、妻の着物の紐を結んで大和を発ってきた。その立田山は、ちょうど今頃葉が色づき始めていることだなあ。
    背景:
    年代は不明。当時の夫婦は、旅に出る際に妻と夫はお互いの無事を祈り、紐を結びあい、また会う日にはその紐を解きあうことを誓った。これは魂を封じ込める行為であり、当時の旅がそれだけ危険であったことを示している。「立田山」が掛詞になっており、国境の地名に大和を「発(た)つ」という意味を掛けている。
  • 巻20-4359 作者:大伴家持 龍田山 見つつ越え来し桜花散りか過ぎなむわが帰るとに

    解釈:
    龍田山で見ながら越えて来た桜の花は、散り過ぎてしまうだろうか。私が帰らないうちに。
    背景:
    天平勝宝7(755)年に龍田山を思い出し、難波で詠まれた。平城の京より難波に下る際に見た龍田山の桜を惜しんだ歌。

巻9-1751 作者:高橋虫麻呂 島山をい行き廻れる川副ひの丘辺の道ゆ昨日こそわが越え来しか一夜のみ寝たりしからに峯の上の桜の花は滝の瀬ゆ激ちて流る君が見むその日までには山下の風な吹きそとうち越えて名に負へる社に風祭せな

巻9-1752(反歌) い行会いの坂の麓に咲きををる桜の花を見せむ児もがも
解釈:
島山をめぐって流れる川にそった丘べの道を通って、昨日こそ私は越えて来た。たった一晩寝ただけだのに、嶺の上の桜の花は、激流の瀬をもまれながら流れていく。君が見るだろうその日までは、山おろしの風よ吹くなと、山道を越えて、風の神を名にもつ龍田の社に訪れ、風祭りをしたいことだ。
反歌
行きあいの国境の坂の麓に、咲きあふれている桜の花を見せるような子がほしいな。
背景:
天平6(734)年頃、龍田古道の峠か亀の瀬付近で詠まれたと考えられる歌。天皇に、この愛でたい桜の花をぜひご覧に入れたい。それ迄は、この花を散らす風が吹かないように、龍田大社の風の神に風祭をしようという熱意を込めた歌である。反歌は佳景に出合った際に、愛する人に見せたいという思いを込めた歌で、「い行会ひ」ということばが、そこが国境であることを示している。

巻9-1752(反歌) い行会いの坂の麓に咲きををる桜の花を見せむ児もがも