もう、すべらせない!!龍田古道の心臓部「亀の瀬」を越えてゆけ ロゴマーク

安村 俊史

龍田古道に息づく歴史の
奥深さや重さ、そして地域の
地理的特性を感じてもらいたい。

柏原市立歴史資料館 館長安村 俊史YASUMURA SYUNJI

1960年大阪市生まれ。大阪市立大学文学部史学地理学科卒。卒業後は柏原市に就職して文化財行政に従事する傍ら、柏原市域を拠点に大阪府内の群集墳や火葬墓などの研究を手がける。主要著書に「大和川の歴史」「群集墳と終末期古墳の研究」などがある。

龍田古道は非常に歴史の長い道です。
近畿には他にも多くの古道がありますが、
特に龍田古道ならではの魅力とは
なんでしょう。

龍田古道は古代の日本において最も重要な道だったと考えられます。
龍田古道は大和における西の出入り口です。当時、大和(奈良)が日本の中心でしたが、大和は常に、最新の文化を取り入れるために中国や朝鮮半島との交流を重視していました。奈良の都から河内・九州を繋いで、その先の大陸と最短距離で繋がることができたのが龍田古道なのです。
日本は当時、文化・学問・産業技術・政治の体制、宗教・思想を中国大陸や朝鮮半島から学んでいました。聖徳太子の師匠は高句麗の僧ですし、隋の皇帝宛てに送った書簡においても「仏教の先進地である中国から学びたい」という意向が読み取れます。当時、新しい文化や技術は、人が運んだ書物や技術製品自体を通して、または知識を持つ人自身が日本に入ってくることによって伝えられるものなので、文化往来を実現するためには「使いやすい道」が不可欠なのです。だから高低差のもっとも小さい龍田道が選ばれたのだと思います。
小学校の教科書にも載っている飛鳥・奈良時代の政治やまち、仏教の発展は、龍田古道が支えていたとも言えます。古道を歩く方には、その歴史の深さ、重さを感じてもらいたいですね。

龍田古道は非常に歴史の長い道です。近畿には他にも多くの古道がありますが、特に龍田古道ならではの魅力とはなんでしょう。

龍田古道沿いには多くのお寺などの
仏教遺跡がありますが、
それにはどんな意味があるのでしょうか。

河内国分寺、平隆寺など多数の寺院跡や、竹原井離宮跡など、大規模なお寺や豪華な離宮があるということは、この道には「交易路」以外の意味合いもあったということです。
7世紀初めの推古天皇の時代から、龍田古道の整備とあわせて、道沿いにお寺を順次建立していきました。斑鳩の法隆寺、中宮寺などの寺院が道沿いに並んでいるのが現在も見てわかるよい例です。国際的な交易路、かつ行幸路の道筋にお寺を建てることで、そこを歩く様々な立場の人々に対して仏教のすばらしさを、ひいては日本の都の文化度がどれほど高いかを伝え、それを中国・朝鮮から来訪した人にもアピールしたのでしょう。現代の視点で言い換えると、龍田古道の整備は土木整備だけでなく、お寺を核とした「まちづくり」や「地域ブランディング」でもあったわけです。聖徳太子は、仏教を取り入れて政治やまちづくりを行ったパイオニアであり、それが後の聖武天皇・孝謙天皇にも引き継がれていったのです。

龍田古道沿いには多くのお寺などの仏教遺跡がありますが、
それにはどんな意味があるのでしょうか。

日本遺産に認定されている
構成文化財リスト以外にも、
地域には様々な文化財があります。
安村館長の「お気に入り」はどこですか。

個人的なお気に入りは「松岳山(まつおかやま)古墳」。古墳の上の南北に石が立てられていたり、墳丘に石を積み上げて作られているという点が非常に独特な形式で、謎が多いものです。
古墳の周辺に人々が住んでいた集落の痕跡がなく、古墳を築造するのに便利とは言えない大和川沿いの断崖絶壁に面したこの土地をわざわざ選んで作られている。この古墳の特徴や意義、役割については、研究のしがいがあり、ワクワクしますね。見学も可能なので、ぜひご覧頂きたいです。

日本遺産に認定されている構成文化財リスト以外にも、地域には様々な文化財があります。安村館長の「お気に入り」はどこですか。

龍田古道や大和川流域の歴史を
紐解いていくことで、
当時の文化や生活が見えてきます。
この日本遺産が今を生きるわたしたちに
教えてくれることはなんでしょうか。

大和と河内を結ぶ無数の道のなかで、龍田古道がもっとも重要な道になっていった理由は、大和川の水運と連携する道であった点が大きいと言えます。
現在の大阪平野の多くが大和川の土砂でできています。大阪は「水の都」とも呼ばれますが、それを支えてきた川が大和川と淀川なのです。
とはいえ、川が与えてくれるのは恩恵だけではありません。大和川が運んだ土砂が川床に溜まると、洪水が起こりやすくなります。流域の集落が度々洪水に見舞われ、およそ300年前、洪水対策のため大和川のつけかえ工事が行われました。亀の瀬の地すべりだけでなく、大和川についても、自然と共生しながら安定的な生活・経済活動を行うための自然災害との戦いの歴史があったことがわかります。
気候変動や相次ぐ自然災害を受けて、今後、防災教育は日本に住むすべての人々にとって、とても重要なものになっていきます。これらのことについても、地域の地理的特性や歴史の話と絡めて、皆さんにわかりやすく伝えていきたいと考えています。

※インタビューは2023年3月時点の内容です。

龍田古道や大和川流域の歴史を紐解いていくことで、当時の文化や生活が見えていきます。この日本遺産が今を生きるわたしたちに教えてくれることはなんでしょうか。

※インタビューは2023年3月時点の内容です。

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